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ヒトはどこまで憎悪出来るのか?『ザ・ブルード~怒りのメタファー~』をザックリとレビュー

相当な"私怨"雑じりの大怪作

オススメ強度:★★★☆☆

監督のデヴィッド・クローネンバーグが、プライベートで色々問題を抱えていた最中に撮影され、その後の'79年に封切られたサイコスリラー。『映画を観た』というよりか『他人様の、何か見ちゃいけないモノを見てしまった』という感想が妥当。日本語版の副題『怒りのメタファー』がとにかく秀逸過ぎる。

映像の寒々しさやグロテスクなメイクアップの特撮技術に驚嘆する一方で、製作に至るまでの複雑な背景もあり、登場人物達のその歪み切った描写からクローネンバーグの恨み辛みがビシビシ伝わるかの様で、かなり意見が分かれる一作だと思う。

精神的に失調してしまったノラ(サマンサ・エッガー)を見守る夫のフランク(アート・ヒンドル)。ある日、ノラと面会した娘のキャンディ(シンディ・ハインズ)が不自然なケガを負った為、フランクはノラを訝しがるがサイコプラズミックなる新療法を推すラグラン博士(オリヴァー・リード)は絶対の自信を見せ、フランクを相手にしない。そんな中、フランクとキャンディを支えるケリー夫妻の元に謎の襲撃者が訪れる…

終盤でノラが腹部を露わにするシーンが何かと語り草。ノラ役のサマンサ・エッガーの生気が無い、言ってみれば人形みたい雰囲気が気色悪過ぎる。そんなノラに振り回されるフランクと娘のキャンディがとにかく可哀想そうだ。

それと大勢の子役が見守る中で撮影されたと思われる託児所襲撃シーンは、今だったら絶対撮影不可だと思う。キャンディ役のシンディさんは今も女優業の他、ドキュメンタリー製作等にも参画なさってるそうだが、あんな不気味でおっかない画作りに付き合わされてよく歪まなかったなぁと感心。

オリヴァー・リード扮するまったく医者っぽく見えないカルト過ぎるラグラン博士がツボ過ぎてヤバい。終盤になってノラが手に負えなくなると「私はなんて事をしたんだ」みたいな体でフランクに真相を打ち明け、協力を打診する一連の場面はもうギャグに片足突っ込んでるまである。ちなみに、劇中のサイコプラズミックなる治療法は現実のゲシュタルト療法がモデルなんだそうな。

対面セラピーだと幼少期まで遡って「自分はどんな子供だったか」「どんな人間になりたかったか」「他人の目に自分はどう映っていたか」みたいに問いかけ、自分とは何か?みたいに解明する事が定番の様だ。

一方のゲシュタルトセラピーでは、一先ずそういった過去や現在のトラブルを、例えば誰も座っていない椅子に座らせる感じで横に置き、まず現在に集中して自分という象を俯瞰する事で、色々な気付きに繋げる様なイメージだ。

メタファーという単語をザックリ掻い摘んで言えば『分かりやすい様に例え、伝える』事。*1更に心理学の世界ではメタファーを『欲求や夢のイメージ』としても語るそうだ。それと加味して子供の頃のトラウマ等で、幼児の様な強いこだわりや抵抗感を大人になっても手放せず、柔軟な対人関係を築けない状態を指して"inner child"という言葉もある。

劇中、自分の欲求に対してある意味純粋で奔放に振る舞い続けたノラ、そして子供の様に不器用ながらも、満足するまでタチの悪い暴力を振るい続ける彼女の化身達。すべてノラの負から生まれ落ちた象徴。そして彼女のメタファーに追われ、終わり無く傷付けられるフランクとキャンディ。登場人物の内、フランクとキャンディに友好的だった人達が揃ってズタズタにされ、犠牲になるのも相俟ってとにかく胸糞悪い一作。家で体調が良い日にひとりで観る分には良いが、劇場の音響とスクリーンでコレ観たらちょっとしんどそうである。

 

離婚調停から端を発した製作

クローネンバーグには'70年から連れ添ったマーガレット・ハインドソンという奥さんが居り、'72年には長女のカサンドラも授かった。しかし、ふたりの溝は段々と深まって行き、離婚は最早避けられない事態に。最終的に'77年になって離婚が成立するが、資産分与やカサンドラの親権を巡って交渉は度々激化、とにかく泥沼の様相だったらしい。

本作は、離婚と親権争いを巡って荒み切ったクローネンバーグの私情がそのまま投影されている。夫のフランク、娘のキャンディは、観たままクローネンバーグとカサンドラその人だろう。

一方、妻のノラとその化身達、ラグラン博士の悪意ある演出にも注目。少なくともノラをあんな風に表現するぐらい、当時のマーガレットはクローネンバーグに影を落とす脅威だったらしい。劇中で暗躍し、好き放題に暴力を振るう化身たちだが、マーガレットのせいで日常生活の中にあっても不安を感じるぐらい、監督自身も参っていた風にも受け取れる。本作のオチから察するに、元々一緒に生活していたマーガレットを文字通り手に掛けたいぐらい憎悪していたとでも言うのか。ホントに失調していたのはクローネンバーグ自身で、この映画を捌け口として製作していなかったら、ひょっとすると監督の今の地位も無かったかもしれない。

ちなみにクローネンバーグの子供たちは全員父親に似て美術家肌だった様で、長女カサンドラは製作スタッフや助監督、プロデューサーとして父デヴィッドのプロジェクトに度々参加。再婚後に授かった次女ケイトリンは写真家、その後に生まれた長男ブランドンは映画監督としてグロテスクな作風までしっかり受け継いでいる。

*1:『とにかくしんどい』=『死ぬほど疲れた』みたいな。実際に疲れて死ぬ事は無いけど例える事で更に伝わり易いよね、というお話し。